映画『カナルタ 螺旋状の夢』レビュー執筆 - 2021/11/3

 若き映像人類学者太田光海氏がエクアドルのアマゾン地方で撮影した民族誌映画『カナルタ 螺旋状の夢』が劇場公開中です。劇場公開パンフレットに私がレビュー(このページの下方に貼り付けてあります)を書かせていただきましたが、大変素晴らしい作品です。東京渋谷のイメージフォーラムで10/3から公開されていますが、11/26まで延長上映が決まりました(上映日程および予告編はこちら)。すでに全国的にも公開されはじめています。


【上映予定】

北海道

シネマ・トーラス(苫小牧)2021年12月4日(土)〜

東北

フォーラム仙台(宮城)2021年10月29日(金)〜 *公開中
フォーラム山形(山形)2021年11月26日(金)〜

関東

シアター・イメージフォーラム(東京)2021年10月2日(土)〜11月26日(金) *公開中
横浜シネマリン(神奈川)2021年11月6日(土)〜
シネマアミーゴ(神奈川)2021年11月28日(日)〜12月11日(土)

中部

伏見ミリオン座(愛知)2021年10月29日(金)〜 *公開中
長野相生座・ロキシー(長野)2021年12月3日(金)〜16日(木)
ほとり座(富山)2021年(近日発表)

近畿

出町座(京都)2021年11月19日(金)〜
シネ・ヌーヴォ(大阪)2021年11月20日(土)〜
元町映画館(兵庫)2021年11月20日(土)〜

中国

円◎結(岡山)10月29日(金)〜11月6日(土) *公開中

四国

シネマルナティック(愛媛)2021年(近日発表)

九州

ガーデンズシネマ(鹿児島)2021年11月20日(土)・23日(火祝)
シネマ5(大分)2021年11月20日(土)〜


【レビュー】

濃厚なアマゾンの森のジュースを飲む(箭内匡)

『カナルタ 螺旋状の夢』に出てくるシュアール族の人々は、一体どんな点で私たちと一番異なっているのだろうか。それは、彼らがアマゾンの多種多様な植物と肌を接して暮らし、それらの植物の力を実感しながら生きている点だと私は思う。植物は、私たちの大半にとって、スーパーで買う規格化された野菜や果物、道端に生えてくる雑草、公園の「木」やレジャーで接する「自然」、といったものでしかない。しかし植物は実際には、酸素呼吸する全ての生物に生を与え、食べ物を与えている強力な存在である。人間の傲慢さにも文句を言わず、彼らは私たちの生を静かに見守り、支えてきた。もちろん食べられる一方では拙いから、植物たちは自衛手段として、自らの身体を食い尽くす細菌・昆虫・動物を追い払うための多種多様な化学物質(中には猛毒も多い)をも発明してきた――人間は植物のそうした力に気がついて「薬」を知るようになったのである。なお、植物は、敵を毒殺するよりずっとエレガントな方法も発明している。幻覚性のある化学成分を作れば、食べた動物はフラフラになって数時間は食べることをやめるのだ。

太陽エネルギーが燦々と降り注ぐアマゾンの熱帯雨林は無数の生物種を生み出し、それらが束になる中で、一本一本の植物が精一杯に生きている。森に住むシュアール族はそれらの植物たちとの優れた対話者である。キャッサバ芋を茹でて食べたり――また唾液を混ぜてチチャ(発泡酒)も作る――、ヤシ科植物の葉で屋根を葺いたり、バナナなど幅の広い葉で物を包んだり、様々な病気の治療の役立つ薬草を腫れた足に塗ったり、傷口に塗ったり、薬草を口から内服したり、そして新たな薬草を発見したり……。彼らの日常は何よりも植物との交渉の中で成り立っている。彼らはまた、マイキュア(チョウセンアサガオの類の数種)やアヤワスカ(キントラノオ科のつる植物)といった特別な植物が、もし適切な形で服用するならば、その幻覚作用の中で人生についての深い真理を教えてくれることも知っている。映画の結末部でセバスティアンが私たちに語りかけるように、それらの植物は生きるための「ポジティヴなエネルギー」を与えてくれるものであり、そこに「ネガティヴなことは一切ない」。

アマゾン先住民のこうした奥深い世界を、『カナルタ』は様々な映画的手段を駆使し、重層的な形で私たちに伝えてくれる。時折織り込まれるクローズアップのショットは、茹でた芋の手触り、地面を踏みしめる足の力強さを伝え、またクリアーなステレオ音声は素晴らしい臨場感を与えている。セバスティアンを追いかけるカメラは私たちを彼の生きる世界に誘い込み、また暗闇を彷徨うカメラはパストーラやセバスティアンの人生における迷いと決断の語りを見事に支える。映画の後半では、パストーラとセバスティアンがカメラを持つ人類学者のアキミにまっすぐ語りかけ、それを通して私たちも彼らと親密な関係を営むことになる。太田はさらに、こうした様々な要素が豊かな照応関係をなすよう、創意に満ちたモンタージュを行っている。『カナルタ』はそれ自体、アマゾンの森と同じように重層的で、響きあいに満ちた映画だ。そうした分厚い映像に身を浸す中で、私たちはほとんど、濃厚なアマゾンの森のジュースを実際に飲んでいるようにも感じるのである。

映画終盤のドラマティックな展開は説明不要であろうから、ここでは序盤・中盤の部分にある味わい深い言葉を拾っておきたい。セバスティアンや屋根葺きの作業に加わる男たちは、各々が「自分が力がある」こと、「本物のシュアール族」であることを強調する。そうした彼らは、疲れた身体を癒すチチャを飲む場合も「立っている時」に飲む。「俺たちは常に前に進んでいる」のだ。アマゾン先住民はある意味、強烈に個人主義的である。しかしそれは西欧近代的な個人主義のイデオロギーとは異なり、「各々が力強く存在しなければならない」という存在論的真実をそのまま肯定することである。ちょうど一本一本の木ができる限り枝葉を伸ばし、たえず「前に進む」ように、アマゾンの森に住むシュアールたちは、自分たちも一歩一歩を前向きに生きようとする。こうした個人個人の「前に進む」力の肯定は、そうした力を一つにすることとも矛盾することはない。「これがシュアール族だ。俺たちが力を合わせればどんなことでもやり遂げられる」とセバスティアンが誇らしげに語るとおりである。

パストーラもセバスティアンも、とても知的で人間的魅力に満ちた先住民である。人類学の醍醐味の一つは、まったく意外な場所でそういった人々と出会うことにあるが、そうした出会いを『カナルタ』は、民族誌映画にしかできない形で私たちにダイレクトに経験させてくれる。アマゾンの熱帯雨林で、そして世界の様々な辺境地域で、こうした貴重な生がどれだけの数、繰り広げられてきただろうか――そうため息をつきたくもなるが、ともかく、私たちがこの、現地に深く溶け込み、そして大変な苦心のもとに撮影・編集された貴重な映像に出会えるだけでも、限りなく幸いなことだと思う。

『カナルタ』は、ロバート・フラハティ、ジャン・ルーシュ、小川紳介といった、現地の人々と自然のただ中に身を浸し、その最も深いところに立脚して作品を作った映画作家たちの最良の作品の系譜に連なる、傑作である。